仙台市青葉区上杉にある「酒場しるくはなれ」で食べた料理。
新体制になってはじめて行ってきました。
若い若い女性ですが荒川のお友達が店主として働いています。
整体師:荒川の経歴
ボクは小学3年生から野球をはじめました。
それから高校まで10年間野球を。
野球だけの人生だったので高校でレギュラーになれなければ終わりと決めていました。
高校卒業後には一般企業に就職。
営業を3年間やって会社を退社しました。
それから整骨院の先生になるために専門学校に入学。
3年間しっかり勉強をして国家資格も無事に一発で合格。
学生時代からバイトしていた整骨院にそのまま就職。
一年くらい働き別の会社で院長としてオープニングにスタッフで入社。
その会社が根白石整骨院を経営していて、半年後にそこのスタッフがあり日突然いなくなり一人で根白石で勤務。
いろいろあり根白石整骨院を買い取り独立。
15年がたち現在に至る。
というのはボクの経歴になります(笑)
わかるように、ボクはこの業界に入り勤務している期間がものすごく短いです。
修行というものがあまりない。
ボクが資格をとるときはたぶん整骨院全盛期で、いろいろな企業が参入していたように思います。
どこに行っても同じような整骨院ばかりだったのです。
はっきりいうと、どこかで働いてキャリアを積んだからといって勉強になるという感じではありませんでした。
もちろんそのときは師匠もいない状態。
独立したのはいいけど、根白石という田舎でやるには絶対に勉強が必要だと思って学ぶことをはじめました。
お金がまったくなかったので、まずは経営を学びだんだんと患者さんが増えてきたのでそのお金で技術を学ぶように。
・筋肉やリンパ系
・内臓
というのを最初に学びました。
それでよい結果がでるようになっていたのですが、だんだんと「効果がでない」という方もくるように。
自分の技術の精度が悪いのか?そんなことを考えながら試行錯誤をしていたのですがそういう方が多く。
学べば難しい方が増えるということはあるのですがどうやらそういう問題ではない。
ある勉強会に参加してそれがわかったのです。
それが今の技術である「脳脊髄液調整法(CSFプラクティス)」との出会いでした。
理論がしっかりしていて哲学があるもの。
「なるほど!これはすごい!」と思い学びはじめて毎月東京へ行く生活を8年くらいするようになりました。
これからも師匠がやり続けてくれる間は学び続けることでしょう。
いろいろなものを学んだし、自分自身も受けてきました。
ボキボキというのも受けたこともありますよ。
その結果としてボクは今の療法(整体)がいいと思っているし好き。
自分が受けるなら自分にやってほしい。
そんな愛情たっぷりな整体を受けてみませんか?(笑)
【根白石整骨院ってどんなところ?は下記の記事を】
【なぜ根白石整骨院は「足の痛みしびれ専門院」なのか?】
【根白石整骨院のホームページ】
荒川 佳祐
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