実は4月26日はボクの誕生日。
平成最後の誕生日を迎えました。
おはようございます(^^)
本日37歳になりました。誕生日石は #エレスチャルアメジスト (笑)
年々素敵な人と出会い関わってくださる人も増え歳をとる事も悪くないと感じています。大きな事はできませんが感謝の気持ちを忘れず目の前の人や大切な人を幸せにできるようにこの一年間も楽しんでいきます。 pic.twitter.com/EJot0z3tLL— 荒川佳祐 仙台:根白石整骨院 (@arasuke0426) April 26, 2019
37歳。
どうも。仙台の整体「根白石整骨院」
日本酒好き整体師の荒川です。
この写真は20歳のときに成人式のときに撮影したもの(笑)
若いなぁ。。。。
サラリーマンをしていたし、まぁ今といろいろと全然違いますね(笑)
そのときにこんな37歳になっているとは想像もできませんでした。
ボクが根白石整骨院を開業したのが26歳。
もう10年が立ちます。
まだこのブログで触れたことがありませんし、患者さんも知らない人もいることなのですが
なぜボクが根白石で開業しているかということ。
ほとんどの人が知らないことを誕生日に。
根白石で開業している理由
実は根白石整骨院はもともと別な会社のものだったのです。
その会社が経営する別店舗の院を立ちあげて院長をしていたのです。
そして、そのとき根白石は別はスタッフがやっていたのですが、ある日突然その任せられていたスタッフが来なくなったのです。
どうにかするしかなく、それから根白石へ突然行くことになりました。
考えてみてください。
ある日突然知らない見たこともない人が院にいるのです。
しばらく院を休んでいて、それだけで信用も失いかけているのに、知らない人がいるわけです。
しかも何名かでやっていたのをボクが一人でやるわけなのでかなりお待たせするし、ボクからしても知らない人を施術するわけです。
なかなかうまく行きませんでした。
当時は保険を使っていた整骨院でしたし予約制ではありませんでしたから。
まぁかなり厳しい言葉を言われましたよ。
前の先生はこうだった、そんなことも言われましたし、先生が違うならもう来ないと言われる必要もない言葉まで言われたりも。
それでも来てくれる人は来てくれて応援してくれる人も増えてきました。
でも、ボクだって院を立ち上げて出会ったばかりの大事な患者さんんがいました。
だから根白石と立ち上げた院を当時は行ったり来たりをしていたのですが、ある日会社から「根白石だけをやってほしい」そう言われたのです。
本当は新しい人がみつかったら根白石をその人に任せて、元の場所に戻る予定だったのですがなかなかみつからずに。
会社が下した決断なので仕方がないです。
が、ボクはその会社を信用することができなくなりました。
一緒にはやっていくことができないそう思ったのです。(ちなみに会社はなくなりました)
だから辞めたいと伝えたのですが、辞めるなら根白石整骨院を買ってくれませんか?という話をされました。
速攻で断りましたよ(笑)
自宅から一時間もかかる、根白石に慣れてきていたけども、まだまだ大変な状態。
正直言うと、一刻も早く辞めたかったです。
でも、今来てくれる人たちに、また同じ嫌な思いをさせていいのか?という思いもありました。
迷ったのですが、嘘のような本当の話ですが当時ボクはドクターコトーに憧れていたのです(笑)
その影響もあり根白石整骨院を買うことにしました。
それから10年がたち現在ですが、その間もいろいろなことありました。
当時珍しかった整骨院なのに保険をやめたときは「お金のことしか考えていない」とも言われたり電話がかかってきたりもしたなぁ(苦笑)
覚悟を持って好きなようにやる
でもね、開業するというか、自分で経営することになるときに決めたのです。
「好きなようにやる」ということ。
もう誰に何を言われても、責任は自分がとるのだから好きなようにやると。
吹っ切れたのです。
それまでは「こんなことしたら来なくなるないかなぁ」「嫌われないかなぁ」とか考えていました。
もし失敗したらそのときはそのときで別な仕事をして生きていけばいいとも。
ボクはけっこう「ブレないな」と言われるのですが、きっとこんな経験をしてきたからだと思います。
理解してくれる方のおかげ
ブレずにこれたのはそれを理解してくれる人がいたからです。
普段あまりこういう言葉を書かないのですが、ここまで来れたのは応援してくれる方、通院してくれる方のおかげです。
頑張ってきたという自負できることもあるけれど、それを受け取ってくださる方がいなければどうしようもなかったわけです。
今ではありがたいことに、ほとんどの方が遠方からで県外からも当たり前のようにくる整骨院になりました。
その期待に応えれるように準備をこれからもしっかりしていきます。
親に感謝
こういう生活ができているのは普通に生きられないボクのことを最後には理解して応援してくれる家族のおかげでもあります。
サラリーマンを45年してきた父親に対して、安定感が一切ない息子。
ある日サラリーマンをやめたいと言い出し、今回書いたように26歳で突然院を経営すると言い出したり、なかなか理解できない生き方をしてきた本当に困った息子ですからね(笑)
感謝しかありません。
37歳の決意
特別な才能も持ち合わせていませんし、大きなこともできません。
ただ、さぼらないことウソをつかないことは自分で評価していることなのでその気持ちだけは忘れず、目の前の人、頼ってくれる人、大事な人に喜んでもらえるように37歳の一年も精一杯やっていきます。
ホント年々素敵な人に多く出会い運がいいというか恵まれていると思います。
本当にありがとうございます!!
支えてくださる方に少しでも返せるように。
荒川 佳祐
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